早川助祭様より 2020年3月22日

守山教会信徒の皆様

助任助祭 早川和彦

新型コロナウイルス感染予防対策として主日のミサが四旬節に入って4回中止となってしまいました。私の記憶にもない事態です。国や地域によっては外出禁止令が出て日常生活にも支障が出てきています。早くこのような事態が収束するよう願っています。

守山教会では、引き続き3月22日と29日の日曜日、午前中聖堂は開けておきます。また祭壇の上にご聖体を顕示しておきます、聖堂で静かにお祈りされたい方はお越しください。そして、聖堂入り口に22日と29日の「聖書と典礼」パンフレットを置いておきます。自由にお持ち帰りいただき、ご家庭でみ言葉を味わってください。

そして29日の日曜日はミサはありませんが、ウイルス感染予防対策をしたうえで、集会祭儀をしたいと思っています。教会に来られる方はお越しください。

下記は22日の説教案です、よろしければ黙想の一助としてください。

ヨハネによる福音 9章1~40

今日の福音ですが、イエス様が通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられ、その人の目が見えるようになさいます。理由は、神の業がイエス様を通してこの目の見えない人に現れるためであったと、聖書には書かれています。この奇跡は目の見えない人がイエス様に「目が見えるようにしてください」とお願いしたわけではありません。一方的にイエス様は唾で土をこねてその盲人の目に塗って、こう指示します。「シロアムの池に行って洗いなさい」と。その盲人が指示された通り池に行って目を洗うと見えるようになったのです。イエス様の呼びかけは突然思いがけないときにあります。弟子たちに声をかけられたときも、そして、わたしたちに従うように、洗礼を受けるようにと招かれたときもそうでした。そして、生まれつき目が見えなかったのにイエス様によって見えるようになったことが周囲の人にも大きな変化が起こり、またその奇跡によって自分の信仰が確かなものになっていく過程が書かれています。

まず近所の人たちや、彼が神殿の境内で座って物乞いをしていたことを見ていて知っていた人たちは、本当に彼が目が見えなかったのに見えるようになったのだと驚く人や、「いや違う、似ているだけだ」という人もいました。その人たちに対して彼は「わたしです、イエスという方が見えるようにしてくださったのです」と、言います。わたしたちに置き換えるなら、洗礼を受けたのはわたしです、と言う宣言でしょうか。

またイエス様がかつて生まれつきの盲人の目を開かれたのが安息日だったので、ファリサイ派の人々は彼を尋問します、「どうして見えるようになったのか」と。彼は、「あの方が、見えるようにしてくださったのです」と答えます。するとファリサイ派の人々の間でも意見が分かれました。「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない、罪人だ」と言う人や、「どうして罪ある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う人もいました。意見が分かれたので再度問いただします。「目を開けてくれたあの人をどう思っているのか」と。それに対して彼は「あの方は預言者です」と答えます。その答えにファリサイ派の人々は反発します、「あの人は罪人だ」と。それに対して彼は、「あの方が罪人かどうかは知りませんが、生まれつき目が見えなかったわたしの目を見えるようにしてくださった事実は確かなことです。神が罪人の言うことを聞いたことはありません。神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになることは知っています。あの方が神のもとから来られていなければ、わたしの目は開かれなかったでしょう」と反駁し、彼はファリサイ派ではなくイエス様の側に立つことを宣言したので、ユダヤ教の会堂から追放されてしまします。

そしてその後、イエス様は彼に出会います。彼にしてみれば2回目のイエス様との対面ですが、イエス様を目で見るのは初めてです。イエス様との会話のやり取りです。

イエス様 「あなたは人の子を信じるか」

彼 「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」

イエス様 「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」

彼 「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。

このように生まれつき目の見えなかった人がイエス様によって目が見えるようになったことで、文字通り視力が回復しただけでなく、心の目が開かれた、信仰への道が開かれたのです。彼は3回にわたっていわば信仰を表します。近所の人々に対して、続いてファリサイ派の人々に対して。このことによって彼は社会的には苦しい立場に立たされます。会堂から追放されています。実際第一次ユダヤ戦争(66年~73年)によってエルサレムはローマ帝国によって破壊され、エルサレムの神殿も焼け落ちてしまいます。神殿が焼け落ちたことによってサドカイ派が没落し、変わって会堂(シナゴーグ)を中心として活躍していたファリサイ派の勢力が高まります。そんな折、90年代にファリサイ派の指導者たちによってエルサレム南西の町ヤムニアで会議がおこなわれ、ユダヤ暦のことや聖書(旧約聖書)の正典としての定義が定められました。これによってギリシア語で書かれたいわゆる70人訳聖書は正統性のないものとされました。またこの会議によって、それまでキリスト者の集まりがユダヤ教の一派と見なされていたのでしたが、そうではなくなりユダヤ社会、具体的には会堂(シナゴーグ)から追放されたのでした。洗礼を受ける、キリスト者となることは、時にはそのような社会との軋轢が生じることもあるのです。

最後に彼は直接イエス様を見ることができ、直接イエス様に信仰告白をします。わたしたちもいつか直接イエス様と顔と顔を合わせて自分の信仰告白をすることができるときが来るでしょう。その日のためにも今の四旬節大切に過ごしていきましょう。

カトリック守山教会

豊かな自然に囲まれた、家庭的な教会です。   主日ミサ: 日曜日 朝10時~   *スマホでご覧の場合、右上の三本の横線をクリックすると、ページタイトルが表示されます。